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「AIがミレニアム問題を解いた」は本当か——書くのは88時間、確かめるのは何年

公開日
POSII COLUMN

「AIがミレニアム問題を解いた」
は本当か

——書くのは88時間、確かめるのは何年。ペレルマンの証明が教えてくれること

2026年9月、「AIがミレニアム懸賞問題を解いた」というニュースが世界を駆け巡りました。数学をやってきた人間として、最初に思ったことは一つです。「それ、まだ誰も確かめてないですよね?」

何が発表されたのか

OpenAIは2026年9月8日、未公開の社内モデルが、ミレニアム懸賞問題の一つ「ナビエ–ストークス方程式の解の存在と滑らかさ」について証明を得たと発表しました。約1万のAIエージェントを同時に動かし、約88時間で結果に到達したといいます[1][2]。

中身は、滑らかな初期状態から出発した流体が有限時間で特異点(爆発)を起こす例を構成した、というものです。約165ページの論証と、証明支援系 Lean による形式化もあわせて公開されました[2][3]。

ただし、よく読むと見出しほど単純ではありません。

  • 対象が限定的:扱われたのは外力を加えたケース(問題文の「C」「D」)で、一般に「ナビエ–ストークス問題」としてイメージされる外力なしのケースとは別だと指摘されています[3]。
  • 査読を経ていない:学術誌の査読も、クレイ数学研究所への提出もまだです。OpenAI自身も賞金は請求しないとしています[1][3]。
  • 手柄をめぐる論争:同じ方向の研究を進めていたNYUの数学者トリスタン・バックマスター氏らとの間で、クレジットをめぐる議論も起きています。同氏は「OpenAIの証明はまだ見ていない」と述べています[2]。

つまり今の状態は「解けた」ではなく、「解いたと主張する論文が出た」です。この二つの間には、数学では何年もの距離があります。

◇

ペレルマンですら、すぐには認められなかった

ミレニアム懸賞問題で、これまでに公式に解決と認められたのはポアンカレ予想ただ一つです。解いたのはロシアの数学者グリゴリー・ペレルマンでした[4]。

ペレルマンは2002〜2003年に、3本の論文をプレプリントサーバー arXiv に投稿しました[4]。しかし彼は学術誌に投稿せず、論文は非常に圧縮されていて、行間を埋めるのは読む側の仕事になりました。

そこで世界の数学者が動きます。クライナーとロットは詳細な解説ノートを2006年にarXivに公開し、査読を経て2008年に学術誌に掲載。モーガンとティアンは本1冊分の解説を書き、2007年に出版しました。曹懐東と朱熹平も2006年に論文を出しましたが、のちに「独自の証明」という主張を改め、ペレルマンの証明の解説として訂正しています[5]。

天才が残した薄い証明を、大勢の数学者が何年もかけて検証する様子

クレイ数学研究所が賞をペレルマンに授与すると発表したのは2010年3月[6]。最初の投稿から約8年です。天才の、しかも正しかった証明でさえ、「正しいと確かめられるまで」に何年も、何人もの専門家の時間が必要でした。

査読者12人が4年かけて「99%正しい」

もう一つの例が、ケプラー予想(球を最も密に詰める方法)です。トーマス・ヘイルズの証明は1998年に提出され、12人の査読者が約4年かけて検証しました。結論は「99%確かだが、100%とは言えない」。大量のコンピュータ計算を、人間には最後まで確かめきれなかったのです[7]。

論文は2005年に掲載されましたが、ヘイルズは納得せず、コンピュータによる形式証明プロジェクト「Flyspeck」を立ち上げます。完了したのは2014年、その論文の掲載は2017年でした[7]。最初の提出から約20年です。

◇

査読は、ほぼボランティアで回っている

ここで知っておいてほしいのが、査読はほとんどが無報酬だという事実です。研究者は自分の研究や授業の合間に、他人の論文を一行ずつ読み、間違いを探します。

ある研究の推計では、2020年に世界の査読者が費やした時間は1億時間超(約1万5千年分)。米国の査読者の分だけで、金額換算すると15億ドル超になるとされています[8]。それがほぼタダで提供されているわけです。

しかもミレニアム級の問題になると、それを読める専門家は世界でもごく少数です。その人たちが何か月、何年と時間を割いてくれて、初めて「正しい」と言えるようになります。

筆者が査読を引き受けたときの話

私自身、数学の論文の査読を依頼されて引き受けたことがあります。実際どうだったかというと——

  • 理解するのに1か月:まず論文の主張と証明の流れを、自分の頭で追えるようになるまで。
  • 調査するのに1か月:引用文献を当たり、既知の結果と矛盾しないか、どこかに穴がないかを一つずつ確かめる。
  • 報告書を書くのに1か月:どこが正しく、どこが不十分で、どう直せばよいかを、著者と編集者に伝わる形でまとめる。
夜の書斎で、空の財布を横に三か月かけて論文を査読する研究者

合計でおよそ3か月。そして報酬は1円もありません。普通の論文1本でこれです。ミレニアム懸賞問題級の165ページを、本気で読もうとしたらどうなるか。想像がつくと思います。

AIの論文を、誰が査読するのか

ここで素朴な疑問が湧きます。AIが大量に出してくる論文の査読を、引き受ける数学者はいるのでしょうか?

AIロボットが運び込む論文の山を、ただ一人残った数学者が見上げている様子

実は、AI以前から査読者はすでに足りなくなりつつありました。生態学・進化学の6誌を調べた研究では、査読依頼が実際の査読につながった割合は、2003年の約56%から2015年には約37%まで落ちています[11]。別の学術誌でも、依頼の引き受け率は2003年頃の60%超から、2023年には40%弱に下がりました[12]。

そこへAIによる論文の洪水が来ています。論文の公開サーバー arXiv は2025年10月、コンピュータサイエンス分野で、査読を通っていないレビュー論文やポジションペーパーの受け付けをやめました。AIで量産された投稿が増えすぎて、モデレーターが良し悪しを見分けきれなくなったのが理由です[13]。

書く側はAIで何倍にも増える。読む側は、無報酬で、しかも年々引き受け手が減っている。この差は、放っておけば広がる一方です。

「Leanで形式化したなら、もう確かでは?」

今回はLeanによる形式証明もあるので、「人間の査読はいらないのでは」と思うかもしれません。たしかに、Leanは書かれた命題が、書かれた公理から正しく導かれていることを機械的に保証してくれます。これは大きな前進です。

でも、Leanが保証しないことがあります。それは「その命題が、本当に問われていた問題と同じか」です。定義の書き方ひとつ、仮定ひとつで、証明したものは別の問題になります。今回まさに「外力ありのケースで、問題の本題を解いたと言えるのか」が議論になっているのは、この部分です。そしてそこを判断するのは、結局は人間の専門家です。

クレイ数学研究所の規定でも、解決と認めるには、規定の発表媒体に掲載されたうえで掲載から少なくとも2年が経ち、さらに数学界で広く受け入れられていることが求められています[9]。

◇

書くのは一瞬、読むのは何年

AIが論文を書く速さは、もう人間とは比べものになりません。88時間で165ページ。これからは毎週のように「〇〇予想を解いた」という論文が出てくるでしょう。

一方で、それを確かめる側の人数も時間も、ほとんど増えていません。

テレンス・タオも「かなり懸念している」

AIを数学に活用する側の代表格、フィールズ賞受賞者のテレンス・タオ氏も、今回の動きを「かなり懸念している」と述べています。難問は解く過程で生まれる手法こそが財産なのに、AIが答えだけを「露天掘り」してしまう。映画の最初と最後の10分だけを観るようなものだ、と[10]。

確かめる時間も足りないし、仮に正しくても、そこから数学が学ぶ時間がない。問題は二重です。

「解いた」のニュースは一瞬で広がる。でも「正しい」が確定するのは、誰かが何年もかけて読み終えたあとです。

AIの数学的な力は本物で、今回の結果も重要な一歩かもしれません。だからこそ、見出しに踊らされず、「誰が、どこまで確かめたのか」を見る目を持っておきたいところです。

ボトルネックは、もう「解く」ことではなく「確かめる」こと。そしてそこを支えているのは、今もほぼボランティアの人間です。

参考文献

  1. CNN「OpenAI says it has solved one of math’s “Millennium Problems”」2026年9月9日 https://www.cnn.com/2026/09/09/business/openai-millennium-problems-navier-stokes-hnk
  2. The Brighter Side of News「Can AI solve a Millennium Prize problem? OpenAI says its system just did」 https://www.thebrighterside.news/post/can-ai-solve-a-millennium-prize-problem-openai-says-its-system-just-did/
  3. explainx.ai「Millennium Prize Problems: What AI Has Actually Solved (2026)」 https://www.explainx.ai/blog/millennium-prize-problems-ai-solved-fact-check-2026
  4. Clay Mathematics Institute「Poincaré Conjecture」 https://www.claymath.org/millennium/poincare-conjecture/
  5. B. Kleiner, J. Lott, “Notes on Perelman’s papers”, Geometry & Topology 12 (2008)/J. Morgan, G. Tian, “Ricci Flow and the Poincaré Conjecture”, AMS/Clay (2007)/H.-D. Cao, X.-P. Zhu, Asian J. Math. 10 (2006) および訂正版
  6. Clay Mathematics Institute, Press release “Prize for Resolution of the Poincaré Conjecture Awarded to Dr. Grigoriy Perelman”, 2010年3月18日
  7. Wikipedia「Kepler conjecture」 https://en.wikipedia.org/wiki/Kepler_conjecture/T. Hales et al., “A formal proof of the Kepler conjecture”, Forum of Mathematics, Pi (2017)
  8. B. Aczel, B. Szaszi, A. O. Holcombe, “A billion-dollar donation: estimating the cost of researchers’ time spent on peer review”, Research Integrity and Peer Review 6:14 (2021) https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8591820/
  9. Clay Mathematics Institute「Rules for the Millennium Prizes」 https://www.claymath.org/millennium-problems/rules/
  10. IBM Think「Will AI solve math too fast?」2026年9月10日 https://www.ibm.com/think/news/will-ai-solve-math-too-fast-navier-stokes-terence-tao
  11. C. W. Fox et al., “Recruitment of reviewers is becoming harder at some journals”, Research Integrity and Peer Review 2:3 (2017) https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5803623/
  12. Biological Invasions (Springer, 2025) 査読依頼の受諾率に関する論説 https://link.springer.com/article/10.1007/s10530-025-03679-1
  13. Decrypt「ArXiv Blocks AI-Generated Survey Papers After ‘Flood’ of Trashy Submissions」 https://decrypt.co/347196/arxiv-blocks-ai-generated-survey-papers-flood-trashy-submissions

最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。

大河原潤

大河原 潤

AI開発専門家

ブーム以前からAI研究に携わる、本物の専門家。「AIに使われる」のではなく、「AIを使いこなす」確かな技術力を提供します。

【アカデミックな裏付け】

  • カリフォルニア大学リバーサイド校 博士前期課程修了(研究分野:測度論、経路積分)
  • アメリカ数学会のジャーナルに論文発表

【社会的に認められた専門性】

  • AI関連書籍:『誤解だらけの人工知能』(2018年)、『AI×Web3の未来』(2023年)
  • プログラミング専門書:実務的な技術書を2冊出版(確かな実装力の証明)
  • 100社以上のAI導入コンサルティング実績、特許売却経験あり