AI用語の階段は、
そのまま管理職の階段だった
新しいカタカナが出てくるたびに、また覚え直しかと身構える。だが四つ並べて覗いてみたら、これは全部、昔からある「上司のレベル」の話だった。
四つのカタカナ
この一、二年で、AIを使う技術の呼び名がずいぶん増えた。プロンプト・エンジニアリング、コンテクスト・エンジニアリング、ハーネス・エンジニアリング、ループ・エンジニアリング(※1)。順に難しくなっていくらしい、ということだけは分かる。だが、それぞれが何の話なのかは、外から見ているとよく分からない。
分かりにくいのは、名前がAIの側から付いているからだ。人間の側から付け直すと、見通しが一気に良くなる。
| AI側の呼び名 | 人間側の呼び名 | やっていること |
|---|---|---|
| プロンプト・ エンジニアリング |
初めて部下を持った上司 | 指示そのものを、伝わる形にする |
| コンテクスト・ エンジニアリング |
シゴデキ課長 | 背景と意義を渡し、精度とやる気を上げる |
| ハーネス・ エンジニアリング |
キチンとした部長 | 指示が確実に実行される環境まで整える |
| ループ・ エンジニアリング |
事業本部長・執行役員 | 初速だけ与えれば自走する構造をつくる |
AIの使い方が上手くなるとは、要するに管理職として上手くなるのと同じ階段を登ることである。
プロンプト:初めて部下を持った上司
「これ、やっといて」で伝わらなかった経験は、たいていの人にある。自分の頭の中では完成している依頼が、口から出た瞬間に情報の大半を落としている。「よろしく」で動くのは、こちらの意図をすでに知り尽くした相手だけだ。
プロンプトの定番技法——役割を与える/出力の形式を指定する/手順に分ける/先に悪い例を潰しておく——は、新任管理職の研修で言われることとほとんど一対一に対応する。目新しいのは相手が機械だという点だけで、技術の中身は昔から会社の中にあった。
この段階の失敗は、まだ全部「指示が悪い」で説明がつく。裏を返せば、直せば直るということでもある。
コンテクスト:シゴデキ課長
一段上がると、指示の外側を渡しはじめる。これは誰のための仕事か。過去に何があったか。どこが地雷か。何をもって「良い」とするのか。
面白いのは、同じものを渡しているのに、効き方の名前が違うことだ。人間に渡すとモチベーションが上がると言われ、AIに渡すと精度が上がると言われる。渡しているものは同じである。
そしてこの段階で本当に効くのは、何を渡すかではなく、何を渡さないかのほうだ。関係ない資料まで全部投げられた部下は、かえって動けなくなる。AIも同じで、文脈は多いほど良いのではなく、選ばれているほど良い(※2)。ここはもう、渡す技術というより捨てる技術である。
ハーネス:キチンとした部長
ハーネスとは馬具のことだ。手綱と鞍。乗り手の意図を、馬の力に変えて伝えるための道具立てを指す。AIの世界では、モデルの周りに用意する道具・権限・手順・止め方のことを言う。何を触ってよくて、何を触らせないか。どこで人間に確認を戻すか。
部長の仕事もこれである。他部との関係を滑らかに保ち、部内では繁閑の濃淡が出ないように制御し、指示が確実に実行されるところまで面倒を見る。指示を出すのではなく、指示が通る場をつくる。
優秀な部下がそろっているのに成果が出ない部署は、たいてい指示が悪いのではない。環境が悪い。AIエージェントを組んでいると、この構造が嫌になるほどはっきり見える。モデルを賢いものに替えても改善しないのに、渡す道具と権限の設計を直した途端に通る、ということが普通に起きる。
この段階から、仕事の対象が「相手」から「相手が置かれている場」へ移る。
ループ:事業本部長・執行役員
最後の段は、初速だけ与えれば回り続ける状態をつくることだ。評価と修正が構造の内側に組み込まれていて、外から押し続けなくても止まらない。いわゆる手離れである。
毎回自分が判断しないと止まる組織は、どれだけ個々が優秀でも本部長の仕事をしていない。同じことがAIにも言える。一回の応答の質ではなく、走らせ続けたときに劣化しないか、間違いに自分で気づけるか、どこで止まるべきかを知っているか。ここが設計できると、人は初速を与えるだけでよくなる。
ここまでで四段。そして、四段とも機械の側に渡せることが、もう分かってしまった。
では、何が残るのか
階段を登り切ると、渡せないものが一つだけ残る。そもそも何をやるのかを決めることだ。
残ったポストは、経営しかない。
これは脅しのつもりではなく、たぶん朗報の側だと思っている。四段は、正直に言えばずっと消耗の場所だった。伝わらない指示を書き直し、背景を説明し直し、部門間の摩擦を均し、止まった車輪をまた押す。その消耗が減るなら、空いた手で何をするのかという話になる。
経営とは、問いの設定である
問いさえ決まれば、下の四段はもう登れる。逆に言えば、問いが悪ければ、四段を完璧に登り切って、精度よく間違った場所に着く。速く走れる時代ほど、方角を間違えたときの被害は大きい。
そして良い問いの条件は、良い定義の条件とほとんど同じだ(※3)。
- 捨てている:何を扱わないかが決まっている。全方位に良いことを言う問いは、問いではない。
- 具体に戻れる:降りた先に、明日やる仕事がある。
- 想定していなかったものが後から入ってくる:立てたときには見えていなかった事業や顧客が、あとから同じ問いの下に収まる。
- 境界が痛い:「これはやるが、これはやらない」と言った瞬間に、社内の誰かが反対したくなる。痛みのない方針は、たいてい何も言っていない。
「わが社はAIを活用する」は、何も捨てていない。だから誰も反対しない。だから何も起きない。
AIがどの段まで登ってきたかを測る仕事は、そろそろ他の人に任せていい。それより、自分たちが何を問うているのかを言葉にするほうが、おそらく急ぎである。経営の定義を真面目に考え直すことが、人類の生き残る道かもしれない——というのは、少し大きく言いすぎだろうか。
AIに何を任せられるかではなく、何を問うているか。残ったポストの仕事は、そこにしかない。
注
※1 プロンプト・エンジニアリングとコンテクスト・エンジニアリングは、開発現場で広く使われる語として定着している。「ハーネス」も、公開教材「マルチエージェントチームハーネスエンジニアリングハンドブック」などで、プロンプト(2022〜2024年)→コンテクスト(2024〜2025年)→ハーネス(2026年〜)という三段階の整理として体系化されつつある。四段目に置いた「ループ」は、その延長として筆者が並べたものであり、定着した用語ではない。本稿は用語解説ではなく、四つを一列に並べたときに見えてくる構造の話として読んでほしい。ハーネスについては「ハーネス・エンジニアリングとは何か」で、自社の実装とともに詳しく書いた。
※2 文脈は多いほど良いわけではない。関係の薄い情報が混ざるほど的外れな出力は増える。何を渡さないかを決めること自体が、すでに設計行為である。
※3 良い定義・良い抽象化の条件については、「抽象化の抽象化 ——一歩引くことが、なぜ発見になるのか」で詳しく書いた。