スマホを取り上げたあと、
何を渡すのか
ジョナサン・ハイト『不安の世代』について、以前この場で紹介しました。診断も提言も具体的で、批判に対する私の立場も含めて書いたつもりです。ただ、書き終えてから引っかかっていたことがあります。
ハイトの提言は4つとも、「減らす」「持たせない」の方向を向いています。高校生までスマホを持たせない。16歳までSNSを使わせない。学校をスマホフリーにする。自由な遊びを増やす。
正しいと思います。ただ、取り上げたあとに何を渡すのかは、ほとんど空欄のままです。前回の記事の最後に「置き換える先を先に用意すること」と書きましたが、その中身までは書きませんでした。今回はそこを書きます。
失われたのは、心の強さではありません
ハイトの「遊びを基盤とした子ども時代」で、子どもは何を身につけていたのか。本人の言葉を借りれば、ケンカの仲裁、ルールの調整、危ない目に遭ったときの引き際です。
並べてみると、ひとつのことに気づきます。これは全部、技術です。性格でも、才能でも、心の強さでもありません。断り方、言い方、引き際の見きわめ。やった回数だけ上手くなり、やらなければ上手くならない類のものです。
ハイトが挙げる4つの害のうち、「社会的な剥奪」がここに直撃します。対面のやり取りが減った、というのは、この技術を練習する回数が減ったということです。
失われたのは強さではなく、練習量である。
そう捉え直すと、いま起きていることの見え方が変わります。人間関係でうまく立ち回れないのは、その人が弱いからではありません。練習する場所が構造的に消えたからです。これは、本人の努力不足という話ではまったくありません。
「治す」枠組みでは、大多数が拾えない
ここで問題になるのが、受け皿の形です。
心のことで困ったら医療かカウンセリング、というのが今の標準です。それは、不調を治すための枠組みです。実際に不調なら、それが正解です。
ですが、「断り方がわからない」「言いにくいことを言えないまま何年も経った」「上司との面談が毎回消化試合になる」——これらは病気ではありません。診断名はつきません。だから多くの人が「病院に行くほどではない」で止まります。止まったまま、何年も続きます。
ここが空白地帯です。治療の手前にあって、放っておくと本当に不調になっていく領域。当社が「カウンセラー」ではなく「コーチ」という言葉を使っているのは、この一点のためです。治すのではなく、できるようにする。
根拠:「聞いてもらうだけ」の効果は、実は小さい
ここは、はっきり数字で言えるところです。
つらいことを打ち明ける・書く、という介入の効果を集めたメタ分析があります。Frattaroli による2006年の研究(Psychological Bulletin)で、146件のランダム化比較試験をまとめたものです。結果は、効果量 r = .075(Cohen’s d でおよそ0.15)。統計的には有意ですが、小さい。
一方で、感情に言葉を当てる作業そのものには、確かな土台があります。Lieberman らの2007年の研究(Psychological Science)では、ネガティブな写真に対して感情の名前を選ばせたとき、扁桃体の反応が下がりました。
この2つを並べると、読めることがあります。
- 言葉にすること自体は効く。これは脳のレベルで確認されています。
- ただし「吐き出す」だけでは、伸びしろが小さい。146件を集めて d = 0.15 です。
- だから、次に何をするかまで一緒に決める必要がある。そこまで行って、初めて技術の練習になります。
「話を聞いてもらえば楽になります」と言い切るサービスは、この数字を知らないか、知っていて言わないかのどちらかです。聞くだけでは足りない。だから、コーチングなのです。
コーチングとは、具体的に何をすることか
抽象論で終わらせないために、実際に扱おうとしている題目を並べます。
- 断り方を身につける/人に頼れるようになる
- 言いにくいことを、角を立てずに伝える
- 上司との面談を、実のある時間に変える
- 思春期の子どもとの会話を、再開する
- 責め合いにならない話し合いの進め方
- 休み明けの働き方を組み立て直す/残るか動くかを自分で決められるようにする
すべて「〜できるようになる」の形をしています。「気持ちを受け止めます」ではありません。ハイトの言う「遊びを基盤とした子ども時代」で自然に身についていたものを、大人になってから意図的に練習し直す、という形です。
なぜ、AIなのか
技術の習得には回数が要ります。ところが、人間を相手にした練習は1回あたりのコストが高いのです。予約を取る。費用がかかる。気を遣う。そして何より、失敗すると関係が壊れます。
だから練習になりません。ぶっつけ本番で、うまくいかず、また遠ざかる。この繰り返しです。
AIの価値は、賢いことではありません。何度でも、失敗しても、関係が壊れない相手だという点です。「こう言おうと思うんだけど、どうか」を、深夜に20回試せる。この一点だけで、練習の回数という制約が外れます。
ただし、矛盾には自覚的でいます
ここは正直に書いておきます。
画面の中の問題を、画面の中の道具で解こうとしている。これは、ハイトの診断からすれば矛盾です。実際そのとおりだと思っています。
ですから、線は引いています。
- 診断も治療もしません。危ない兆候が見えたら、人につなぐ。ここは技術の問題ではなく、設計の問題です。
- 滞在時間を伸ばす設計をしません。ハイトが4つ目の害として挙げたのが「依存」でした。人を引き止めるように設計されたサービスを、メンタルの領域で作ってはいけない。目指すのは、アプリの中で長く過ごしてもらうことではなく、現実で言えるようになって出ていってもらうことです。
- 現実の居場所の代わりにはなりません。ハイトの4つの提言は提言のまま有効です。当社がやろうとしているのは、その前段の練習であって、置き換えではありません。
まとめ
- ハイトの提言はすべて「減らす」方向で、渡すもののほうは空欄になっている。
- 失われたのは心の強さではなく、人間関係の技術を練習する回数である。
- 技術の不足は病気ではないので、「治す」枠組みでは大多数が拾えない。ここが空白地帯。
- 聞いてもらうだけの効果は d ≒ 0.15 と小さい。次にどうするかまで決めて、初めて練習になる。だからコーチング。
- AIの価値は賢さではなく、失敗しても関係が壊れないこと。練習の回数という制約を外せる。
- 目的は、アプリに居続けてもらうことではない。現実で言えるようになって、出ていってもらうこと。
取り上げるだけでは足りない、と前回書きました。渡すものの中身は、練習の機会だと考えています。