「定義を飛ばす講義は、
数学ではない」
講義についていけないのは、あなたの頭の問題ではないかもしれません。日米で講義の質が違うのは、教える側の評価のされ方が違うからです。
データサイエンスやアルゴリズムの重要性が語られる一方で、その根幹である大学の数学教育について、現役の学生から声が上がっています。
Quoraにあがっていた、京都大学の学生からの質問です。
「大学の数学の授業ってあんなもんなんでしょうか? 京大なんですが、外積は知っている前提で話が進んだり、どんどんかっ飛ばされたりします。どこの大学も同じですか?」
この問いに、日本の大学の数学科を中退してアメリカへ渡った経験から答えます。
質問に答えられず説教を始める教授
——「授業がどんどん飛ばされる」というのは、日本の大学数学ではよくあることでしょうか。
結論から言えば、定義すらまともに説明せずに飛ばすようなものは、もう数学の講義とは呼べません。走り書きの講演会です。
私自身、かつて中央大学の数学科に在籍していましたが、まったく同じような講義のやり方に嫌気がさして中退しました。質問者の絶望感はよく分かります。
——具体的には、どんな講義だったのですか。
大学2年にもなってデデキント切断のような話を延々とやらされる一方で、肝心の定義について質問すると「勉強が足りない」と説教をされる。食い下がって質問を重ねると、その教授はまったく答えられませんでした。自分が分からないから、解説を飛ばしていたわけです。
アメリカでは、評判の悪い講義は消える
——渡米後はどうでしたか。
似たような「置いてけぼり」の授業をやっている教授を、一度だけ見かけました。ただ、それは徹底的に学生からの評判が悪かった。アメリカでは評判の悪い講義はだいたい無くなりますから、今頃その授業も消えているはずです。
——なぜ日米でそこまで講義の質に差が出るのでしょう。
これは教員個人の資質の話ではなく、組織のインセンティブ設計の問題だと思っています。
- アメリカ:Publish or perish(論文を出せ、さもなくば去れ)と言われる厳しい競争がある一方で、「良い講義ができるか」も給料と人事評価の対象になっている。だから教授陣も講義の質に必死になる。
- 日本:一度ポジションを得てしまえば、講義がどれだけ不誠実で質が低くても、基本的に職を失うことも給料が下がることもない。教える側のモチベーションを担保する仕組みが働いていない。
これは大学に限った話ではありません。評価されない仕事は、どんな組織でも必ず質が落ちます。「やる気がない人がいる」という話に見えるものの大半は、評価システムの設計ミスです。
「天才たちの不親切」との、決定的な違い
——MITやプリンストンのような超名門校でも、爆速で進む不親切な講義があると聞きます。
そうした話は耳にします。フィールズ賞やノーベル賞級の教授が、教科書もなしに修士・博士レベルの内容を飛ばしていくケースですね。
ただ、日本のダメな講義とは決定的な違いがあります。彼らは「ここの定義は何ですか」と聞かれれば、お茶を濁さず一瞬でホワイトボードに書き出します。実力があるので、答えられないということがない。
ちなみに、フィールズ賞受賞者のテレンス・タオ氏はそうした不親切な講義はしていなかったと聞きます。超一流であっても、教え方のスタイルは人それぞれということでしょう。
悩んでいる学生へ
——最後に、講義についていけずに悩んでいる学生へ。
いま大学の数学が理解できずに悩んでいるなら、「自分の頭が悪いからだ」と責める必要はまったくありません。
それはあなたの頭脳の問題ではなく、教える側の質と、それを放置している評価システムの問題です。分からないことを分からないと言えたなら、その時点であなたの側は正しく機能しています。
評価されない仕事の質が落ちるのは、大学に限った話ではありません。